『階層と教育』問題の底流 苅谷剛彦

階層格差は高度経済成長以前においては、『貧困問題』として人々の関心を集めるテーマであり、活発な議論がなされていた。しかし、高度経済成長などを経て、日本社会における絶対的な貧困が減少し、階層間の所得分配格差が減少していくにつれて中心的な議論から周辺へと追いやられていく。しかしながら、『戦後』一貫して特定の階層に有利な構造が教育において維持され続け、階層の格差が教育格差に帰結する状況は続いている。
即ち、所得分配の格差が縮小し、『大衆教育社会』が出現するにつけて、階層に関係なく教育を受けさせることが可能になった。こうした変化のために、階層と教育の問題の議論は、教育の階層格差が依然として維持され続けているにも関わらず、議論されることがなくなってしまった。
階層と格差の議論の戦後史を簡単に追ってみる。
1950年代においては、貧困問題として階層と教育の問題が語られていた。即ち、貧困層にはその貧しさのために、教育にとって不利な要因を負っているということが階層と教育の問題の中心として語られていた。故に、絶対的な貧困を解決すれば階層と教育の問題も解決するであろうというような見方が主流であった。
しかし、日本社会が豊かになって、絶対的貧困が縮小しても階層間の教育格差は依然としてなくならなかった。例えば、1975年において、日本社会の最下層の収入水準は、1965年の中間層と同等以上の水準であった。つまり、1975年には最下層であっても10年前の中間層以上の生活を営むことが可能であるほど、収入の水準が上がったということだ。こうした収入水準の上昇にもかかわらず、教育の階層格差は殆ど同じ水準で安定的に維持されていることが、1950年代から1990年代までの研究によって明らかにされている。
1950年代から1990年代までの階層と学力の関係の調査の中で、興味深い点は収入の格差(経済資本の量の格差)以上に職業や学歴の格差などの文化的な要因の格差の方が、教育格差にとって強い影響力を持っているということである。つまり、単純に下位層を経済的に援助したとしても、上位層と下位層の間の教育格差を縮める効果は限定的であるということだ。
いずれにしても、底辺階層におけるある水準よりも低い資本のあり方のような、絶対的な貧しさようなものが底辺階層の学力達成や教育達成を制限しているために、教育の階層格差が生じるのではなく、底辺階層と上位階層の間の相対的な差異(特に文化的な差異)それ自体が教育格差を生じているのである。
大衆教育社会の出現によって、それまで貧困問題として語られてきた教育の階層格差の問題が語られなくなった。このことは、戦後一貫して存在する『階層と教育』問題の底流に流れる本質(想定的な差異それ自体が問題であるということ)を不可視化しているのである。
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出典:『大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』1995年

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