ピグマリオンの彫刻にならないように

誰かに意見を聞くこと、アドバイスをもらうこと、それはとても意味のあることだ。
自分の気づかないような視点から意見をもらうことで、自分自身を発展・成長させることができる。

でも、時々、他者に意見ではなく、答えを求めてしまうことがある。
自分は何者なのか。自分はなぜ自分であるのか。自分は何のためにここにいるのか。
こうした問いの答えを自分の中にではなくて、人に求めてしまうことがある。

人の意見を答えとして受け入れている自分を見つけるとき、自分の中の空洞に気が付く。
自分という存在の中身が空っぽであることに気が付く。
その空洞を、誰かの言葉で埋めようとする自分に気が付く。

ギリシャの神話の中に、ピグマリオンという彫刻家がいる。
彼は、身の回りの女性の悪い側面を目撃するにつれて、生身の女性を嫌うようになる。
そして、彼は自分の理想的な女性を彫刻によってつくり上げてしまった。
それは素晴らしい出来で、ピグマリオンはその彫刻に恋をした。
彼は毎日、彫刻に命が宿ることを願った。
そして、最後にはその願いが実を結び、彼は人間になった彫刻と結婚する。

実は、その彫刻は人間になったとたん性格は最悪で、この世界にうまい話はないものだ、というオチでもあればいいのだがそんなオチはない。
ギリシャの人にお約束は通じないらしい。


それはさておき、誰かの期待や望みが形を与えられ、そこに命が与えられる形で人間になった彫刻は、空洞の自分を誰かの言葉で埋めることで自分を形作ろうとしていた自分に似ている。
誰かの中に自分とは何者か、という問いの答えを求めていた自分に似ている。

でも、それではいけない。
自分が何者なのか、は自分で決めなければならない。
他者から受ける影響もあるかもしれないが、答えを人に求めてはいけない。

きっと、ピグマリオンの話にも彫刻が自分と向き合い、自分を再定義していく、そんな続きがあるはずだ。
なければいけないと思う。

そんな続きもないのだとしたら、せめて自分はピグマリオンの彫刻にならないように。

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