R. マートン 社会理論と社会構造 第4章 社会構造とアノミー


4章 社会構造とアノミー

まず、この論文の主要な目的はこれまで社会的逸脱に対して学術界から支持されてきた「フロイト的前提」(社会の構造は、本来、人間の固定した生得的な衝動の自由な表現を抑制するもので、そのため、人間は自由を得ようとして周期的にこの抑制に大っぴらな反抗を試みる、という前提―構造によって押さえつけられた人間の生得的な欲求の欲求不満が引き起こす、構造に対する反抗が「逸脱的行動」であるという心理学に基づく前提)に立つ心理学的な説明を批判し、それとともに社会的逸脱に対して社会文化的構造に着目した原因分析を行うことにある。(心理学的説明に基づくと、逸脱は社会構造に関係なく社会に一様に、且つ、特定の集団などに偏在することなく存在することになる。)
(余談であるが、社会的逸脱を客観的な存在と考える基礎づけ主義的な存在論と、それに対して量的なデータを用いて原因分析を行おうという姿勢は典型的な実証主義的認識論に立脚している。1930年代に書かれた論文であることを考えるとそれは当然であるが、読了に当たってはそうした認識論を視野に入れつつ読み進めることが、効果的な批判や建設的な議論を行うにあたっては重要なステップであるといえる。)

第一節 文化的目標の型式と制度的規範
まず、社会的逸脱やアノミーを考えるに当たって二つの社会文化的構造の諸要素の中でも2つがより重要である。一つは文化的に価値を置かれている「目標」であり、もう一つはそうした目標を達成するにあたって用いられる手段に対する文化的・制度的な「規範」である。後者はどのような手段が社会的文化的に正当であるか、と規定する規範である。また、正当な手段はその効率性などからは独立している。(たとえ効率性が高いからと言って特定のな手段―暴力的手段など―が常に正当化されている、と言うことはない。)
そして、この二つの要素の間には常にバランスがとられているということはなく、それぞれがそれぞれのダイナミックスをもっている。それ故にある社会では「目標」のみがアンバランスに強調され、一方で「規範」がなおざりにされてしまっている。逆もまた然りである。
「目標」ばかりがアンバランスに強調され、「規範」が影を潜めているような社会では、人々は目標を達成するためには手段を選ばなくなりそのため、効率性を重視し規範を軽視するようになる。すると、社会的な逸脱行為が起こりやすくなり、社会はデュルケムが言う「アノミー」(無規制状態)の状態に陥る。
また「目標」が強調された時のみならず、「規範」のみが強調された場合にも逸脱行為はい起こりやすくなり、いいかえれば、両者のバランスが不均衡の状態ではいずれにしても逸脱行為は起こりやすくなるのである。
一方、安定した社会とは「目標」と「規範」の間のバランスが取れている社会であり、そのような社会では人々は目標を達成することのみならず、秩序そのものにも満足を得ることができている。(アメリカ社会―1930年代―は「目標」が過剰に強調される社会。)

第二節 個人的適応様式の類型論
第一節では、文化型式に目を向けたが第二節ではある文化型式における個人の反応の類型(文化型式に対する適応の類型)を考える。個人の適応の類型を整理するにあたって尺度となったのは、文化的目標と制度的手段のそれぞれに対してそれを「承認」するか「拒否」するか、(例外として、「反抗」という適応類型のみそのどちらにも該当せず、「一般に行われている価値の拒否と新しい価値の代替」という項目が設けられている)という点である。
それに基づくと、以下のような適応の諸類型が見いだされる。
①同調 文化的目標―承認、制度的手段―承認
②革新 文化的目標―承認、制度的手段―拒否
③儀礼主義 文化的目標―拒否、制度的手段―承認
④逃避主義 文化的目標―拒否、制度的手段―拒否
⑤反抗 目標・手段共に「一般的に行われている価値の拒否と新しい価値の代替」

①同調
この反応は社会が安定しているほど、最も一般的な適応様式としてあらわれる。社会秩序を維持していく上では欠かせないものである。これは、逸脱とはあまり関わりのない適応様式であるので、それ以上のことを語る必要はここではない。

②革新
この適応様式は文化的な目標を承認しつつ、それを達成するために効果は大きいものの制度的には禁止されているような手段を用いるところにあらわれる。これが現れるのは、文化的な目標は受け入れられながらも、制度的な規範が内面化していない場合である。
心理学的な説明では、目標に没頭すると誰でも容易に危険を冒すようになるというような説明がなされる。つまり、社会構造のあり方や階層上の地位などは関係ない。しかし、社会学ではどのような社会構造のあり方がこうした適応様式を助長するのか、またどのような社会階層上の地位を占める集団においてこうした適応様式が取られやすいのか、を問題にする。
革新の適応様式は最高レベルの経済階級の人々の間に日常的に存在していると同時に、社会構造の下層を占める人々にかなり集中して存在している。下層階級の人々の間に集中している背景には、目標を超階層的に共有して置きながら制度的な手段によってそれを達成する機会を階層に非対称的に分配しているような社会構造がある。即ち、下層階級者にとっては、「富を得る」という目標は植え付けられているものの、それを制度的な手段で成し遂げるために必要な資源が与えられていない。
加えて、下層階級の人々は制度的な手段の重要性や道徳規範などがそれほど内面化されていない。このため、制度的な手段を軽視しやすい状況でもある。このような理由から、こうした人々は制度的な手段を軽視するような適応様式を取るようになる。

③儀礼主義
この適応様式は「革新」とはいわば逆のあり方で、文化的目標のほうを放棄、もしくは切り下げることで、制度的規範の順守を維持しようとする。文化的な目標を放棄するという点で文化的に望ましくはない行動ということになるものの、制度からははみ出していない。それ故に、これが逸脱行為であるかどうかはどうとでも言える性質のものである。
こうした儀礼主義の適応様式は中流下層階級のアメリカ人(論文が書かれた当時の)によく見られる。下層階層が「革新」の適応様式を取りがちであった背景には規範の内面化が弱かったためという理由があったが、中流下層階級の人々は過程において規範を十分に内面化させられていた。しかしながら、文化的目標を達成することはやはり難しくそこには緊張が生じざるを得なかった。その結果として儀礼主義の適応様式を取りがちであった。

④逃避主義
制度も価値も省みないという点で逸脱行動に分類される適応様式。
社会的無関心者の適応様式。
社会構造的に説明すれば、この様式が最も表れやすいのは、文化的目標も制度的手続も内面化され、これらに高い愛着と価値を置きながらも、制度的な手段を用いては目標を達成できないような状態である。目標に高い価値を置いて居ながらも規範的手段を用いては成功できず、葛藤状態を抱きながら社会から脱落する。そして、この葛藤を解決するために目標と規範を放棄する。これによって逃避が完成する。

⑤抵抗
この適応の結果、人々は、その社会構造から逸脱して、新しいまったく一変した社会構造を実現しようとする。価値転換を志向する。
制度体系が正当な目的達成の障がいを成すと考えられる場合には、抵抗の適応様式が台頭し、これは新興階級の人々の中から生じることが一般的。

第三節 アノミーへの傾向
ここまでに述べられてように、社会構造のあり方は逸脱行為やアノミーへの傾向を生じる。文化的目標と制度的手段の双方がバランスよく強調されているような場合には社会は安定するが、そのバランスが崩れると、逸脱やアノミーを生じる。競争システムの社会にあっても、競争システムを支持するような感情が、競争の結果のみならず秩序そのものに対してまで広くその全領域にまで広がっていれば、手段の選択も制度的規範の枠内に収まると思われる。しかし、競争それ自体から生ずる満足を置き去りにして、結果だけが文化的に強調されてしまえば、統制的構造は崩壊してしまい、アノミーへの傾向が生じてしまう。
そして、このアノミーへの傾向は社会の全成員に対して一様に作用するのではなく、特定の社会階層(下層階層や中流下層階層)が影響を受けやすくなっている。ただ、文化的目標とは必ずしも金銭的成功だけではないので、金銭的な成功を中心にした時の潜在的な逸脱者が多くのひとびとと同調できるような文化的目標は存在し得る。それ故に、そうした補助的文化目標を強調することで社会を多少安定化し得る可能性はある。


第四節 家族の役割
文化的目標や制度規範への価値観などを次世代に伝達する媒介として家族は重要な手段である。ただ、家族の文化伝達は社会において最も一般的な文化を継承するというよりは、両親の階級に特徴づけられる狭い階級分化や規範を次世代に継承するという形をとる。
更に、低階層の親は文化的目標をあきらめた後、自身が達成できなかったその文化的目標を自分の子どもを達成しようとする傾向が強い。ここで重要な点は、子どもに大きな圧力をかけて文化的な目標の達成(非常な出世)を望ませるのは、子どもに自由な出世の機会を与える能力の最も少ない両親に違いない、ということである。
目標と利用可能な手段のギャップが逸脱の背景にあることはこれまでに述べてきた。(目標は全体に共有されているのに、手段の分配が偏っていると手段を持たない底辺層は逸脱をする。逆に達成できない目標が内面化されていなければ、手段をもたない底辺層であっても逸脱はしにくい。即ち、目標に対する認識と利用可能な手段のギャップ―アンバランス・両者の不完全な結合―が逸脱を生じる。)そのため、以上に述べたような親の社会化はまさしく逸脱行動を引き起こす形式である。
このような背景から、種々の社会階層における、家族を含めた様々な職業的目標形成のあり方や社会化のあり方に関する研究が今後もっと求められる。



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