シンボリック相互作用論とはなにか

おはこんにちばんは!
昨日の夜から風邪をひいてしまい、今日は一日休養を取っていました。
体調管理には気をつけましょうね!

基本的にベットに横になって体を休めていたわけなんですが、いろいろ動画を見てしまい、時間を若干無駄にしてしまったなぁという罪悪感もありつつ、少しだけ読書をしました。
少し前に、ブルーマーの書いたシンボリック相互作用論という本を買ったのですが、読んでいなかったので、読んでみることにしました。この本を自分が買った目的はシンボリック相互作用論は社会をどのように見るのか、シンボリック相互作用論って何なのか、を知りたいがゆえに購入した本なので、それについて書いてある最初の一章のみ、しかも冒頭の一節だけを集中的に読みました。残りの部分は気が向いたら読もうと思います。

ブルーマー曰く、シンボリック相互作用論は3つの前提に立脚しているそうです。
『第一の前提は、人間はものごとが自分に対して持つ意味にのっとって、そのものごとに対して行為をするというものである。(中略)第二の前提は、このようなものごとの意味は、個人がその仲間と一緒に参加する社会的相互作用から導き出され、発生するということである。第三の前提は、このような意味は、個人が、自分の出会ったものごとに対処する中で、その個人が用いる解釈の過程によってあつかわれたり、修正されたりするということである。』

つまり、人間の行為は行為を行う対象のものごとが行為者にとって持つ意味に則って行動を行う。そして、ものごとのそうした意味はものごとに内在する普遍的な意味や真の意味といったような性質のものではなく、自分自身や他者との相互作用を通して定義されたり、修正されたりする、ということです。更にもう少し踏み込めば、このことが意味するのは、人間の行為は他者や自分自身との社会的相互作用を通じて(に応じて)形成されていく、ということです。
そして、相互作用が人間の行為を形成する、というこの過程は『指示と解釈』という二つの過程を含んでいます。これはつまり、ある人の行為は他者に対してどのように行動すべきかを指示し、他方では指示をされた人はその指示を解釈し、自身の行動を決定する、という二つの過程が相互作用を通じた行為の形成には含まれているということです。また、こうした解釈はすでに確立されたものごとの意味を単に適用するという過程ではなく、自分の置かれた状況と自分の行為の方向に沿うような意味を生成し、ものごとに付与していくという過程(自分の状況や自分の行為の方向性を鑑みて自分自身にとって意味を持つであろうことを自分自身に対して指示し、それがどんな意味を持つのかを状況と自分の行為の方向性に応じてそれを解釈する―意味を与える―過程)として考えられます。よって、同じ行動に対して与える解釈は状況や解釈者の行為の方向性によって異なるということです。

シンボリック相互作用論のこうした前提は、いくつかの方法論的な含意を持ち、シンボリック相互作用論の研究の方法にいくつかの方向性を示しています。
まず、シンボリック相互作用論は人の行動は行動の対象がその個人にとって持っている意味に応じて決定されるという前提を持つため、研究者は研究対象者や集団の行為が何を対象としているのか、それらが彼らにとって何を意味しているのかを研究対象者の視点から特定化しなくてはなりません。同様にシンボリック相互作用論は、人の行為は人が直面する状況に応じて行われる、指示と解釈の過程として捉えられることを前提とするため、研究の対象となる生活の特定領域をその内部で社会的相互作用(指示と解釈)が行われている場と捉えなければなりません。そのうえで、そうした相互作用がどのような指示や解釈を含んでいるか、つまり、社会的行為がどのように形成されているかに着目する視点が求められます。また、シンボリック相互作用論は社会的行為を個人間の相互作用によって説明しようとするため、社会における組織も、それ自体の原理を持った自己包括的な存在としてではなく、人々の活動の相互連関として認識することが重要であるとされることになります(ミクロな視点からの説明を試みるという特徴)。

以上が、僕の読み取った内容です。

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なにが読まれているのでしょうか

主観/客観図式 デカルト

R. マートン 社会理論と社会構造 第4章 社会構造とアノミー