教育学をつかむ 序 教育学とは何か 木村 元先生
要約
教育学という学問が対象とする教育という営みは、文化伝達のうちで子供の成長の過程に意図的に働きかける行為と定義される。“意図を持って教える”という性格を持つこうした教育は人間の歴史の始まりからあるようなものではなく、近代という時代における『共同体の崩壊』と『ネーションの形成』によって生み出され発展した。
教育学はデュルケムの二分法に従って、『ペダゴジーとしての教育学』と『教育科学』と分類されることが一般的であった。しかし、こうした実践と客観的な理論の分断は、どちらか一方に偏ったアプローチでは解決できない教育問題の出現とともにその機能不全が指摘され始めた。現代社会においては、教育科学とペダゴジーを横断するような教育学の形が求められている。
教育学という学問が対象とする教育という営みは、文化伝達のうちで子供の成長の過程に意図的に働きかける行為と定義される。“意図を持って教える”という性格を持つこうした教育は人間の歴史の始まりからあるようなものではなく、近代という時代における『共同体の崩壊』と『ネーションの形成』によって生み出され発展した。
教育学はデュルケムの二分法に従って、『ペダゴジーとしての教育学』と『教育科学』と分類されることが一般的であった。しかし、こうした実践と客観的な理論の分断は、どちらか一方に偏ったアプローチでは解決できない教育問題の出現とともにその機能不全が指摘され始めた。現代社会においては、教育科学とペダゴジーを横断するような教育学の形が求められている。
感想
共同体の崩壊と近代教育の出現という部分につけて、共同体の崩壊という出来事の歴史的な重要性を改めて感じた。
それは同時に、ゲルナーやアンダーソンが論じている近代という時代の出現の歴史的な重要性を再認識せざるを得ない。
ゲルナー曰く、工業化以前の階層分断的な共同体に特徴付けられる農村社会が工業化によって崩壊し、階層に関係のない労働需要が生まれ、その結果。共同体の枠を超えて人口の移動が起こるようになり、共同体は崩壊していった。
少し詳しく言うと、工業化によって産業の構造は変化し、生産効率も向上したため階層に関係なく無産市民的な形の労働力が社会にあふれることになる。こうした労働者たちは近代になって初めて生まれた工場労働者などになった。このようなかたちで階層や以前のコミュニティを超えた人口の移動が起こるようになり、次第に共同体は崩壊していく。
近代化、そして、近代化を呼んだ工業化、本当にとても重要だ。
共同体が崩壊すると、それ以前には共同体の中で自然と社会化されて成員となっていた子供たちが、白紙の状態でいることが発見された。これが、『意図を持って教える』教育のきっかけだ。
でも、これだけではない。共同体の崩壊は社会全体にとっても大きなきっかけとなった。それが国家の形成、という動き。
階層や共同体によって統合されていた人々がばらばらになったとき、それを別の方法で統合しなければならなくなった。それが国民国家の形成という課題だ。
そのときに、非常に便利なツールと考えられたのが、教育だった。そして、国民国家の形成という大きな流れに後押しされる形で、教育は国家によって制度化された。このときから、教育は国家によって独占された。それは今も続いている。
国際社会学で学んだことが教育学の中で結びつき、近代化を中心とする物語として広がりを持ったことがとても楽しいと感じたから、まとめてしまった!
『近代という時代の起こり』についてとても興味が湧いたし、もっと知りたいと思った。
共同体の崩壊と近代教育の出現という部分につけて、共同体の崩壊という出来事の歴史的な重要性を改めて感じた。
それは同時に、ゲルナーやアンダーソンが論じている近代という時代の出現の歴史的な重要性を再認識せざるを得ない。
ゲルナー曰く、工業化以前の階層分断的な共同体に特徴付けられる農村社会が工業化によって崩壊し、階層に関係のない労働需要が生まれ、その結果。共同体の枠を超えて人口の移動が起こるようになり、共同体は崩壊していった。
少し詳しく言うと、工業化によって産業の構造は変化し、生産効率も向上したため階層に関係なく無産市民的な形の労働力が社会にあふれることになる。こうした労働者たちは近代になって初めて生まれた工場労働者などになった。このようなかたちで階層や以前のコミュニティを超えた人口の移動が起こるようになり、次第に共同体は崩壊していく。
近代化、そして、近代化を呼んだ工業化、本当にとても重要だ。
共同体が崩壊すると、それ以前には共同体の中で自然と社会化されて成員となっていた子供たちが、白紙の状態でいることが発見された。これが、『意図を持って教える』教育のきっかけだ。
でも、これだけではない。共同体の崩壊は社会全体にとっても大きなきっかけとなった。それが国家の形成、という動き。
階層や共同体によって統合されていた人々がばらばらになったとき、それを別の方法で統合しなければならなくなった。それが国民国家の形成という課題だ。
そのときに、非常に便利なツールと考えられたのが、教育だった。そして、国民国家の形成という大きな流れに後押しされる形で、教育は国家によって制度化された。このときから、教育は国家によって独占された。それは今も続いている。
国際社会学で学んだことが教育学の中で結びつき、近代化を中心とする物語として広がりを持ったことがとても楽しいと感じたから、まとめてしまった!
『近代という時代の起こり』についてとても興味が湧いたし、もっと知りたいと思った。
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