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ニューカマーの子どもの学校教育―日本的対応の再考 太田 晴雄

ニューカマー(などの外国人のこども)への日本の学校の対応の特徴として、『内外人平等の原則の不徹底』(外国人を義務教育の適用対象外とすることや、義務教育として認められる教育が国民教育に限るということ―即ち、民族学校などは正統な教育として認められていないこと―など)『適応教育の強調』(学校内部においては日本人と同等の扱いを受けることを求められること。それ故に教育的配慮も日本人と同様な扱いを可能とできる程度までに留まるような平等主義的な配慮―equity【結果の平等―公平】ではなくequality【等しく扱うこと】中心であること。例えば、日本語指導も学習や授業理解に必要な日本語の能力を養うためではなく、日本人の子どもと同様の扱いを成立させるための最低限の日本語能力を身に着けさせるためである。)『日本人のための学校への一方的適応』(外国人がもつ異文化性や独自性を尊重するのではなく奪い取り、日本人のための学校―日本国民を育成するため の学校―への適応を強制することで一方的な日本人化をすること)が挙げられる。 こうした日本的対応は『国民教育の枠組みの中で行われる適応教育』という点にあると要約できる。そしてこれは、米国における従来のマイノリティ教育の特徴であった『奪文化化』(Deculturalization)を彷彿とさせる。『奪文化化』とは、『ある集団から文化を奪い、彼らになじみのない新たな文化を強要すること』と定義される。 日本のニューカマーへの教育対応が『奪文化化』を彷彿とさせる根底には、日本的な対応が『国民教育』(近代国民国家体制の下で行われる、国民的同質性の形成、その維持・強化に主眼を置いた教育)の枠組みで、そうした対応が行われていることがある。 即ち、国民教育の価値観に基づいて公教育の対象を日本人(日本国籍を持つもの)のみに限定し、教育内容も日本人教育と規定することが、義務教育諸学校への外国人児童生徒の就学に関する二つの原則(①就学の機会は『許可』〔義務や権利ではなく〕として提供され、②就学後は日本人と同様に扱われる)を帰結する。そして、日本人と同様に扱うことを実現するための『適応教育』が外国人の子どもの固有の文化を無視するか、抑圧してしまうのだ。 この『国民教育』のパラダイムに変わる新たなパラダイムとして考えられるのが『多文化教育』である。多文化教育とは、ドミナント...

不平等問題のダブルスタンダードと「能力主義的差別」 苅谷 剛彦

西欧の階層研究においては、家庭的な背景と学力の関係は広く認められていたし、学校が階層間の不平等や格差を再生産する装置であることは一般的な事実として認められていた。日本の階層研究においても、そうした西欧社会の研究は広く受け入れられていた。しかし、日本社会の全体を見たとき、研究者の常識は、一般的なものとして受け入れられてはいなかった。 日本において教育と差別が議論されるとき、教育差別として問題にされるものは、生徒を学力に基づいて序列化することを通して学力の低い生徒に『差別感』を与えることであった(能力主義的差別―能力に基づいてできる子とできない子を差別化して、できない子に差別感を与えること)。そして、これは、『社会的カテゴリーに基づいた不当な差異的処遇』を指す差別という言葉が持つ本来の意味とは別のものを指していた。ここにおいて、『差別のダブルスタンダート』が生じたのである。そして、日本における教育差別議論では、生徒 間に差異があるということを強調することそれ自体が教育差別であるとみなしたため(前者の『差別』が差別議論の中心であったため)、生徒間の差異をなるべく不可視化しようとする姿勢が支配的であった。 そうした中にあっては、生徒の能力は押しなべて等しいとみなすような能力論・素質論が蔓延しており、学力の格差に目を向けること自体がタブー視されていた。そのため、学力格差と家庭的な背景と結びつけて議論することもタブー視されていた。 しかし、教育と家庭的背景の関連を不可視化しようと試みていた日本社会においても、同和問題は家庭的背景と教育達成を関連付けて語らざるを得ないような問題であった。(社会的なカテゴリーに基づいた不当な差別的処遇としての『差別』を問題にしなければいけないような問題であった。)同和問題について、同和地区の子どもの教育困難自体を無視することを通じてジレンマを解消しようとする方法もあった。だが一方で、ジレンマを解消するそれ以上に重要な方法は、同和問題を例外として語ることであった。即ち、『差別のダブルスタンダート』に基づいて一般的な教育の不平等の問題と同和地域の不平等の問題は別である、とする『不平等問題のダブルスタンダード』を用いることに依る解決であった。 こうしたダブルスタンダードの存在が、日本社会において同和地区に関する議論では学力と家庭的背景の間の関係が議論さ...

『階層と教育』問題の底流 苅谷剛彦

階層格差は高度経済成長以前においては、『貧困問題』として人々の関心を集めるテーマであり、活発な議論がなされていた。しかし、高度経済成長などを経て、日本社会における絶対的な貧困が減少し、階層間の所得分配格差が減少していくにつれて中心的な議論から周辺へと追いやられていく。しかしながら、『戦後』一貫して特定の階層に有利な構造が教育において維持され続け、階層の格差が教育格差に帰結する状況は続いている。 即ち、所得分配の格差が縮小し、『大衆教育社会』が出現するにつけて、階層に関係なく教育を受けさせることが可能になった。こうした変化のために、階層と教育の問題の議論は、教育の階層格差が依然として維持され続けているにも関わらず、議論されることがなくなってしまった。 階層と格差の議論の戦後史を簡単に追ってみる。 1950年代においては、貧困問題として階層と教育の問題が語られていた。即ち、貧困層にはその貧しさのために、教育にとって不利な要因を負っているということが階層と教育の問題の中心として語られていた。故に、絶対的な貧困を解決すれば階層と教育の問題も解決するであろうというような見方が主流であった。 しかし、日本社会が豊かになって、絶対的貧困が縮小しても階層間の教育格差は依然としてなくならなかった。例えば、1975年において、日本社会の最下層の収入水準は、1965年の中間層と同等以上の水準であった。つまり、1975年には最下層であっても10年前の中間層以上の生活を営むことが可能であるほど、収入の水準が上がったということだ。こうした収入水準の上昇にもかかわらず、教育の階層格差は殆ど同じ水準で安定的に維持されていることが、1950年代から1990年代までの研究によって明らかにされている。 1950年代から1990年代までの階層と学力の関係の調査の中で、興味深い点は収入の格差(経済資本の量の格差)以上に職業や学歴の格差などの文化的な要因の格差の方が、教育格差にとって強い影響力を持っているということである。つまり、単純に下位層を経済的に援助したとしても、上位層と下位層の間の教育格差を縮める効果は限定的であるということだ。 いずれにしても、底辺階層におけるある水準よりも低い資本のあり方のような、絶対的な貧しさようなものが底辺階層の学力達成や教育達成を制限しているために、教育の階層...

外国人の階層研究の文献まとめ①

外国人の階層研究の文献まとめ 大曲、高谷、鍛冶、稲葉、樋口の論文 在学率と通学率から見る在日外国人青少年の教育― 2000 年国勢調査のデータ分析から 韓国・朝鮮人 高校在学率は日本人と殆ど変わらない。 大学・大学院在学率は日本人よりも少し高い。 高校を日本で過ごしたものに絞ると大学・大学院在学率は日本人とほぼ同じになる。 (差を生じていたのは、留学生の存在であったといえる) 韓国人の 5 年前国外にいたものの大学在学率は兵役にかなり影響を受けている。 中国人 高校在学率は日本人よりも低い(男子は 20~25 パーセント程度、女子は 10% 程度) 大学在学率は 19 歳では日本人よりも低い( 10% )が 23 歳では日本人より高い( 15~20 ) 日本で中学を過ごした女子は高校進学率において殆ど日本人と同等 日本で中学を過ごした男子は日本人との差が 10~15% ほどに減少 23 歳時点では、在日歴 5 年以上者についても、在学率が男女とも日本人よりも高いまま。 (中国人は日本人よりも大学にとどまりがち) 19~20 歳の点で比べると高校を日本で過ごした中国人の女子は日本人と同等かそれ以上の大学進学率を達成している。ただ、男子は日本で過ごしても日本人よりもやや低い。 5 年前どこにいたか、ということが通学率に与える影響がほかの集団よりも小さい 5 年前に国外にいた 20~23 歳の集団の通学率の男女間の差が大きい。 ブラジル人 高校在学率が 40% を越える年齢・世代がない 男女とも 18 ・ 19 において短大・専門学校進学率が 5 %程度で大学進学率は殆どゼロ 5 年以上滞在して、中学校を日本で過ごせる状況にいても高校に進学するのは 50% 以下 ( 5 年以下の滞在を含めたときよりも 15% は上がった) 5 年前の常住地について、【現在と同じ場所】( 16 歳― 66.7 、 17 歳― 59.4 )【国内の違う場所】( 16 ― 55.6% 、 17 - 25.5 )【国外】( 16 歳― 17.2% 、 17 歳― 11.6% )の順に在学率が低くなっている。(著者の予想通り) 著者は、 5 年前の常住地を今と同じ、国内の別の地域、海外、に分...

在日外国人の仕事―2000年の国勢調査から― 大曲、高谷、鍛冶、稲葉、樋口著

ニューカマーの労働状況について 失業率 インドネシア-1.5%【最も低い】 外国人全体の平均よりも5.7%以上低いグループ インド、ネパール、バングラデシュ、マレーシア、ミャンマー 外国人平均以下 パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル、ボリビア(わずかに低い程度)、ペルー(僅か) 平均付近 カンボジア、スリランカ、タイ、中国、パキスタン、フィリピン、ベトナム 平均よりも1ポイント以上高い イラン、韓国・朝鮮(失業問題の存在を示唆)、ラオス、ガーナ、ナイジェリア キーワード:エスニックニッチ 或るエスニック集団が構造的、文脈的様々な理由や背景から特定の産業に集中すること。 要因の例:移民受け入れの文脈、移民のネットワークを介した求職行動 そうした産業のことをあるエスニック集団によって形成されたエスニックニッチと呼ぶ。 職業小分類に見る外国人の職業 専門職・管理職 中国籍の高さが際立っている(日本人以上)―1割以上が専門職 (New ComerかOld Comerかはわからない) 韓国・朝鮮籍 専門職は日本人とそれほど変わりはない。 管理職(主に会社役員)比率は高い―日本人の2.5倍、中国人の3倍 (就職差別→起業によって活路を見出してことに依る) その他 中国系以外のニューカマーには、専門・管理職の道は明確に閉ざされている。 サービス業 外国人は(ブラジル・ペルーを除き)サービル業への従事比率が高い フィリピン・タイ国籍は中でも際立ってこの業種に集中している 調理人―韓国・朝鮮、中国、タイ国籍者で日本人の2倍以上 (そのほか飲食業関連でもそれらの国籍者は日本人よりも多い―エスニックニッチ) 性産業 フィリピン―4分の1が性産業に従事 タイ―6%が性産業に従事 生産工程職 サービス業に較べるとエスニックニッチ化の傾向は弱い 中国籍―日本人の3倍弱が従事 【実習生、研修生の存在】 フィリピン―中国籍と同程度 タイーフィリピン国籍以上の高さ ブラジル―75%が製造業 タイ―70%が製造業 圧倒的な南米系移民に依るエスニックニッチを形成している。 学歴と職業、労働 日本と中国、韓国・朝鮮籍 大卒の方が役員が多く、家族従業者(家業に従事する人)が少ない。 フィリピン・タイ国籍 総じて学歴の効果は限定的 大卒で自営業(雇人のいない業主)の比率が高く家業の割合...

教育学をつかむ 序 教育学とは何か 木村 元先生

要約 教育学という学問が対象とする教育という営みは、文化伝達のうちで子供の成長の過程に意図的に働きかける行為と定義される。“意図を持って教える”という性格を持つこうした教育は人間の歴史の始まりからあるようなものではなく、近代という時代における『共同体の崩壊』と『ネーションの形成』によって生み出され発展した。 教育学はデュルケムの二分法に従って、『ペダゴジーとしての教育学』と『教育科学』と分類されることが一般的であった。しかし、こうした実践と客観的な理論の分断は、どちらか一方に偏ったアプローチでは解決できない教育問題の出現とともにその機能不全が指摘され始めた。現代社会においては、教育科学とペダゴジーを横断するような教育学の形が求められている。 感想 共同体の崩壊と近代教育の出現という部分につけて、共同体の崩壊という出来事の歴史的な重要性を改めて感じた。 それは同時に、ゲルナーやアンダーソンが論じている近代という時代の出現の歴史的な重要性を再認識せざるを得ない。 ゲルナー曰く、工業化以前の階層分断的な共同体に特徴付けられる農村社会が工業化によって崩壊し、階層に関係のない労働需要が生まれ、その結果。共同体の枠を超えて人口の移動が起こるようになり、共同体は崩壊していった。 少し詳しく言うと、工業化によって産業の構造は変化し、生産効率も向上したため階層に関係なく無産市民的な形の労働力が社会にあふれることになる。こうした労働者たちは近代になって初めて生まれた工場労働者などになった。このようなかたちで階層や以前のコミュニティを超えた人口の移動が起こるようになり、次第に共同体は崩壊していく。 近代化、そして、近代化を呼んだ工業化、本当にとても重要だ。 共同体が崩壊すると、それ以前には共同体の中で自然と社会化されて成員となっていた子供たちが、白紙の状態でいることが発見された。これが、『意図を持って教える』教育のきっかけだ。 でも、これだけではない。共同体の崩壊は社会全体にとっても大きなきっかけとなった。それが国家の形成、という動き。 階層や共同体によって統合されていた人々がばらばらになったとき、それを別の方法で統合しなければならなくなった。それが国民国家の形成という課題だ。 そのときに、非常に便利なツールと考えられたのが、教育だった。そして、国民国家の形成という大きな流れに後...

国際社会学 第7章 移民・外国人の子どもたちと多文化教育 宮島喬著

I外国人の子どもの就学の状況 不就学者の存在―という問題 佐久間孝正も不就学5つの原因 1本人の意欲の欠如 2頻繁な移動・滞在予定の不明など家族の行動 3いじめなどの人間関係 4日本語指導や受け入れ体勢の不備 5『構造化された不就学』 ・義務教育の外国人への適用除外 ・親の超過滞在など非正規状態―支援要求がしにくい など II移動する子どもたちへの教育的対応 受け入れのタイプの類型 1滞在が一時的な子どもを放任するか、母語や母文化教育を提供する 2入国前から同化が行われており、ホスト国の国民と変わらない教育を受ける(植民地教育) 3移民すべてに公教育においては、ホスト国の国家一言語での教育を行う 4定住移民第二世代への多文化的な教育を行う 日本は第3の類型に含まれる III学習の環境と社会的条件 言語のハンディ以外の不利な環境的・社会的条件 ・頻繁な移動―子どもたちは学校適応が困難になる ・経済的要因 ・家族内関係―家族の統合度―父母の不和、一方の不在、養育放棄、など 三態度要因―『動機と励まし』『子供への強い関心と献身』『学校通学が大事と説くこと』 日本の外国人の状況―不就学・不登校家庭は家族問題がある 一般的にニューカマー外国人にとって家庭が効果的な学習支援の場となるのは難しい IV多文化の教育の必要 多文化教育の必要性―アイデンティティの維持、異文化環境への適応、第二言語習得 日本において、多文化教育は極めてまれである 多文化教育の類型 共有型―同じ学校内など、共有の場で複数の文化が学ばれ教えられること Minority文化がMajority側から否定的に見られ、言及されることがないのが成功条件 ―マイノリティが自文化を肯定的に見なし、積極的に表出できなくなってしまうため 日本においては、この条件をクリアすることは一つの課題 分離型―特定民族の集住コミュニティの中の学校で多文化教育が行われ、ほかの学校では同化 V進学と社会参加 学校教育が単線型ではない国―早い段階から進路や成績に応じた生徒の振り分けが行われる国 マイノリティは底辺階層へ続くコースへと早い段階で振り分けられることがある 日本は中等教育を通じて学校格差の問題が存在している―将来の地位の決定 日本における外国人高校進学率―30%にも達しない 低進学率の要因 1学習を進める上でのハンディ(日...

日本におけるニューカマーの言語政策

日本におけるニューカマーの現状と問題点 日本語の指導が必要な生徒多数 教育問題も多数ー不就学など (家庭、経済、言語、精神など多様な問題) 様々な国の言語政策の事例と現状 オーストラリア 多文化主義国家 人口の約23%が海外の出生 約27%が少なくとも片親が海外出生者 言語政策(ESLやLOTE教育)ーメディアやテクノロジーの活用と社会の全面的な強力が特徴 カナダ 多民族国家 ヨーロッパ系白人約65% アジア、アラブ、黒人が約20% 二言語主義国家ー英語とフランス語の二つの公用語 言語政策ーフランス語プログラム、バイリンガルおよび遺産言語教育、先住民の言語教育、(ニューカマーへの教育) 社会の全面的な協力ー家庭の協力など イギリス 地域毎の固有の言語の存在 ニューカマーへのコミュニティ言語と地域少数言語への配慮が中心 正規の全国共通カリキュラムへの組み入れ 3国の共通点 1ニューカマーの母国の文化や言語の尊重 2国レベルのプログラム 3受け入れ体制の構築 4保護者の協力(教員不足をカバー) 5豊富な言語選択肢 日本の言語政策 各学校毎の「日本語指導」と「適応指導」 日本語指導ー取り出し教育、生徒のそばに教員の配置 しかしほとんどの学校(外国人児童すくない学校)で十分にこうした対応をとることができていない。 日本語指導を行う人が素人 適応指導ー文化的な規範や行動などの理解を支援する活動ー具体性なし 言語指導に関して 生活言語以上の学習言語の発展という課題 日本語や学力の土台として、母語の基盤を支援するという課題 今後の教育現場への課題 外国人指導の専門家の配置 地域や行政、家庭など、社会全体での支援体制構築

日本における外国人受け入れと子どもの教育 ―ブラジル人の場合を中心に―江原 裕美著

①日本をめぐる『移民』と教育―『外国人子女教育』の位置づけ 近代化や経済発展の関係と密接に関わる日本における国境を越えた移動 国境を越えた人の移動の流れを軸とした時代区分 膨張的植民地主義から戦時体制へ 明治前期の地租改正や通貨の改革―自作農の没落と農民の困窮―海外へ出稼ぎ 東南アジア・南洋への出稼ぎ(WWII頃まで続く) アメリカへ―1900年ころ1920年までがピークで30年間で269,832人 中南米へ―1908~1945までで合計244172人 入移民―出移民に較べて極めて少ない、WWII中、朝鮮人が多く移住 戦前の国際的局面における教育 海外の日本人と国内の外国人 海外(日本人学校)においても日本においても臣民教育 外国人は同化、OR、排除 戦後の日本経済と対外関係における教育 植民地から630万人もの日本人が引き上げ 朝鮮戦争を背景に経済成長―企業の海外進出(アジア中心)の始まり(~74年) 1974∼5年―オイルショックからくる世界的不況 1980年~日本企業のグローバル化―日本の経済成長―外国からのデカセギの下地 海外子女教育と学校 海外子女―海外の日本人学校の拡大(1970年には39校、85年には38011人) 帰国子女―教育の『国際化』の名の下に受け入れ態勢の拡充 一方で在日朝鮮人など内なる『国際』は無視されていた 『外国人子女教育』問題のインパクト 1990年出入国および難民認定法―在日朝鮮人が『特別永住者』になり、法的地位認定 在日の人たちの教育的地位の問題は1960年代末から少しずつ変化 同上法律―日系人の在留資格『定住者』新設―日系移民のデカセギ開始 日系移民のデカセギに伴って『外国人子女教育』問題が表面化する ②日本における外国人と教育問題の意味 一、定住外国人の増大と多様化 2006年末―外国人208万4919人(日本の人口の1.63%)―過去一貫して増加 東京に36万人、大阪に21万人、愛知に15万7000人、神奈川に13万8000人 10都道府県に全体の70%が住む 国際結婚(2005年総結婚数の約6%)増加―両親のいずれかが外国人の子どもも増加 オーバーステイ―推定22万人 二、ブラジル人労働者の就労・生活と教育 不確定な永住への意志、永住傾向―両国を行き来するトランスナショナルな生き方も 不安定な非正規雇用―ジャストインタイム...

階層構造のなかの移民、マイノリティ 竹ノ下 弘久著

①社会階層論における移民の位置づけ 社会階層論の関心 ―世代間(親子間)、世代内(本人の労働市場に参入後のプロセス)の社会移動と不平等 日本における社会階層論と移民 ―『単一民族神話』―移民・エスニシティは語るに値せず アメリカにおける社会階層論と移民 ―研究多数―黒人の『貧困の継承』と『人種の継承』 ②移民の社会階層をめぐる理論 編入様式論(ポステルら) ―受け入れ社会の制度的文脈を考察するため提唱される ―①受け入れ国の移民政策(入管政策、福祉政策、統合政策) ―②労働市場の構造(労働市場の階層化、分断化の構造、移民が吸収される階層的位置) ―③Ethnic Community(Communityの有無、役割、社会関係資本)の3つの次元に着目 (古典的同化理論VS)分節された同化理論 ―移民グループや個々のケースに応じて多様な適応プロセスが存在する ―第一世代の編入様式(教育的背景、受け入れ国の政策など)の違いが親子関係を多様化 編入様式論と分節された同化理論の国際比較への応用(アメリカ以外の社会を分析する際) ―二つの理論はアメリカ社会を前提―国際比較には国ごとに異なる制度的文脈に留意 ―留意すべき制度的文脈4つの次元 ―①移民政策(出入国管理政策と統合プログラム) ―②労働市場(社会移動の可動性を制限する労働市場構造への着目) ―③福祉レジーム(福祉レジーム-自由・保守・社会民主主義―と労働市場への編入様式の関係) (福祉レジームはある社会の福祉制度が依拠し前提とするIdeologicalな基盤) ―④教育システム(初等教育開始年齢、選抜分化の開始時期、階層化の程度・重要度)

ノンフォーマル教育の可能性 丸山英樹 太田美幸著

第一章 教育と学校 第二章 ノンフォーマル教育とは何か 第六章 多文化社会の課題とノンフォーマル教育 第一章 教育と学校 ①教育とは何を指しているのか 現代に通じる教育の生まれ―15∼16世紀・近代化の影響(産業革命と中世的共同体の解体) 現代に通じる教育―『発達への意図的・計画的・持続的介入』としての教育 ②国民教育制度としての近代学校 国民国家を形成するために異なる民族を国民として統合する制度としての学校教育の誕生 『発達文化』―教育がそれに基づいて設計されるような文化(価値観、規範、信念の集合) 初期―支配階級の発達文化に依るヘゲモニー 教育改革―徐々に抑圧されてきた発達文化が学校教育に組み込めていく過程 ③様々な教育のかたち 学校教育以外の教育の場での教育(non-formal)―近代学校とは目的や対象が異なる教育 例 学校教育に参加できない集団のための教育 学校教育とは異なる発達文化を持つ集団のための教育 など 第二章 ノンフォーマル教育とは何か ①近代学校とは異なる教育 ノンフォーマル教育―近代学校とは異なる教育 どのように異なるのか、二つの意味―『非正規』と『準定型』 ②ノンフォーマル教育の二つの意味 二つの意味―上記 『非正規』―学校教育の制度の外側で行われる教育 『準定型』―形式がないわけではないが、カリキュラムや教師生徒の関係など形式が柔軟 『非定型』―インフォーマル―模倣や観察など、形式がない教育 インフォーマル教育の射程―『非正規』且『定型・準定型』、『準定型』且『正規・非正規』 インフォーマル教育が含む射程は広く、定義はコンテクストに依存し、普遍的ではない。 第六章 多文化社会の課題とノンフォーマル教育 ①多文化社会における教育の課題 『発達文化』の多様性―言語の違いなどの問題の現れ 発達文化の違いをカバーするための『非正規』の教育の利用 e.g. 民族学校、外国人学校など ②異文化を生きる人々への学習支援 学習支援としてのノンフォーマル教育―中学校夜間学級 文化の違いや言語の壁に悩む人々、制度からはみ出てしまった人々への支援 ③アイデンティティ形成の資源を獲得する 自文化への肯定的理解―異文化保持者の安定したアイデンティティ形成 自文化理解の場(機会)としてのノンフォーマル教育 多文化要素を含むアイデンティティの可...

移民の子どもの教育の現状と課題 ハヤシザキカズヒコ著

まず、著者は日本の政府の外国人問題への建前を批判します。著者曰く、日本政府は外国人の問題への対応策を『移民政策』(統合政策)として捉えず、それ故に移民という言葉を使うことなく『外国人』という言葉でごまかしていることを指摘します。その結果、日本における外国人への支援の政策は抜本的ではなく、付加的なモノ(おまけのようなもの)としての政策が中心になっているといいます。そうした背景から、移民の子どもへの支援にももんだいは多く残っているのです。著者によればそれはおもに3つ。①支援者のスキル不足(ボランティアやNPO頼りで専門性に欠けるから)②使用教材の難しさ(日本人中心に作られているため外国人には難しい)③家庭的文化的 背景への配慮の難しさ(出身国や家庭的な背景に応じて必要な支援が違うため、対応が難しい)、というこれらです。 しかしながら、それでもこれまでの支援が積み重なり、外国人の子どもの高校進学率は着々と上昇し、現在では80%台まで到達しました。日本人の98%に較べるとまだ、格差はありますが、希望が持てる変化であるといえるでしょう。ただ、ハヤシザキさんは触れていないが、外国人の子どもに関しては不就学、という問題もあるため、この進学率からはみ出した、高校学齢期だが学校に行かない子どもたち、が含まれていないことには留意が必要であると思う。

『移民の子供の学習特性』について

OECDの調査によれば、移民の子供の学力というのは、ネイティブの子どもと比較すると、著しく低いことが示されています。では、移民はネイティブと比較して勉強に対して意欲や関心、自信をどのくらい持っているでしょうか。また、移民の子どもたちはどのくらい肯定的に学校という場を捉えているでしょうか。学力と同様に、ネイティブに比べて非常に低くなっているのでしょうか。この論文では、その問いを検証します。 いくつかの先行研究によれば、関心や意欲、自信、学校観などの要素は、学校の中での学びのみならず、生涯を通しての学びにとって重要な要因であり、将来の成果や業績を左右する要因であると考えられています。それ故に、これらの要因に着目することに価値があるのです。 前置きが長くなりましたが、本研究によれば、移民の関心、意欲、学校観についての肯定的な認識の度合い、おいて移民はネイティブに比べて、同水準か、もしくは少し高い水準であるということが示されました。これは、今後の移民教育に対する指標となりうる結果といえるでしょう。 一方で、自信という観点については、あまり有意に移民の子供が高いという結果は得られませんでした。ただ、自信の一部を成す自己効力感(課題を努力によって自力で乗り越えていくことへの自信)については、移民の子どもたちはネイティブの子どもに較べて非常に低いという結果は示されました。この結果は今後の課題として残りそうです。

ピグマリオンの彫刻にならないように

誰かに意見を聞くこと、アドバイスをもらうこと、それはとても意味のあることだ。 自分の気づかないような視点から意見をもらうことで、自分自身を発展・成長させることができる。 でも、時々、他者に意見ではなく、答えを求めてしまうことがある。 自分は何者なのか。自分はなぜ自分であるのか。自分は何のためにここにいるのか。 こうした問いの答えを自分の中にではなくて、人に求めてしまうことがある。 人の意見を答えとして受け入れている自分を見つけるとき、自分の中の空洞に気が付く。 自分という存在の中身が空っぽであることに気が付く。 その空洞を、誰かの言葉で埋めようとする自分に気が付く。 ギリシャの神話の中に、ピグマリオンという彫刻家がいる。 彼は、身の回りの女性の悪い側面を目撃するにつれて、生身の女性を嫌うようになる。 そして、彼は自分の理想的な女性を彫刻によってつくり上げてしまった。 それは素晴らしい出来で、ピグマリオンはその彫刻に恋をした。 彼は毎日、彫刻に命が宿ることを願った。 そして、最後にはその願いが実を結び、彼は人間になった彫刻と結婚する。 実は、その彫刻は人間になったとたん性格は最悪で、この世界にうまい話はないものだ、というオチでもあればいいのだがそんなオチはない。 ギリシャの人にお約束は通じないらしい。 それはさておき、誰かの期待や望みが形を与えられ、そこに命が与えられる形で人間になった彫刻は、空洞の自分を誰かの言葉で埋めることで自分を形作ろうとしていた自分に似ている。 誰かの中に自分とは何者か、という問いの答えを求めていた自分に似ている。 でも、それではいけない。 自分が何者なのか、は自分で決めなければならない。 他者から受ける影響もあるかもしれないが、答えを人に求めてはいけない。 きっと、ピグマリオンの話にも彫刻が自分と向き合い、自分を再定義していく、そんな続きがあるはずだ。 なければいけないと思う。 そんな続きもないのだとしたら、せめて自分はピグマリオンの彫刻にならないように。