デュルケム 自殺論 要約(というより読書ノート)②

デュルケム著 自殺論 要約(読書ノート)②

第一編 非社会的要因
第二章 自殺と正常な心理状態―人種、遺伝
この章では、自殺の非社会的な要因であり、かつ、正常な心理状態において考えられる要因について、その自殺傾向との関係を分析しています。

まず、人種と自殺傾向についての分析。
デュルケムは、人種の定義とは何か、という議論からこの章をはじめる。
そして、そこにおいて、人種というものはそもそも定義が明確なものではなく、それ故にそのような曖昧な枠組みしか持たない概念と、自殺傾向という概念の関係性を明らかにしようというその試み自体、成立するか疑問を呈している。

その前提の下、先行研究においてある程度の正当性を得ている、モルセッリの人種の四分型を基本として、人種と自殺傾向の関係を吟味するが、人種と自殺傾向の間に統計的な相関は見いだせず、両者の関係を否定している。

次に、デュルケムは人種と自殺の関係を述べる理論が、暗黙のうちに前提としている、遺伝と自殺の関係を吟味している。
まず、自殺と遺伝の関係を指示する研究内容として、いくつかの精神病患者の研究を紹介するものの、そこで示される遺伝の効果は、自殺傾向の遺伝ではなく、自殺に帰結する可能性がある(必ず自殺と結びつくわけではない)精神症状や精神異常が遺伝よって受け継がれることの可能性に過ぎず、遺伝が自殺傾向と結びついているということを示すには十分ではないとする。
加えて、一見して自殺が遺伝するように見えるケースは、自殺が持つ強迫観念のような伝染力に依るものである可能性を示す。(デュルケム曰く、この議論は後の章で深めるらしい。)
ここまでの議論に加えて、自殺の遺伝を否定するような更なる統計的な情報をデュルケムは提示する。
まずは、自殺と性差の関係。もしも、自殺が遺伝的なものであるのならば、性別によってその傾向において差は生じ得ないことになるが、実際の統計的なデータでは、男子の自殺数が、女子の自殺数を遥かに上回っている。
加えて、もしも、自殺が遺伝であるのであれば、その遺伝の傾向は自殺が精神的にも肉体的にも可能になる年齢、即ち、体の成熟が自殺に十分なレベルに達した時点において一挙に発現し始めるはずであろう。しかし、実際の統計はそれと相反する内容を示す。自殺に十分な成熟は子どもの時点ですでに成し遂げられるにもかかわらず、子どもにおける自殺は非常に少ないのである。
最後に、年齢とその自殺傾向のパターンについても、もしも自殺が遺伝と結びつく、即ち、有機体の有機的・心理的な状態と結びつくようなものであるのであれば、自殺の傾向もある点においてピークを迎え、そこからは傾向自体が時間とともに減少していくというような傾向を成すように思われる。しかし、実際には、自殺の傾向は年齢を追うごとに上昇をし、人生の終盤に差し掛かればそれだけ大きな傾向になるのである。

これらの分析から、人種や遺伝、それらによって構成される個人的な性向は自殺にとっての必要条件ではあるが、それはそれが即ち自殺に必ず帰結するようなものではなく、故に、自殺を説明することはない、と結論付けている。

第三章 自殺と宇宙的諸要因
この章では、自殺の傾向と、物理的環境の関係性を統計的な方法で示しています。

まず、宇宙的諸要素というのは、物理的で自然的な環境の中のことを指す。
そして、この章では、自殺に関係がありうるそうした宇宙的諸要因として、気候と季節の気温をデュルケムを検証の対象としている。

まずは気候の影響について、デュルケムは経度や緯度を用いて、自殺傾向と地形的な要因の関係性を探るも、両者には相関は全く認められず、気候が自殺傾向と結びつくという見方を否定。

次に、気温と自殺傾向の関係の分析に移る。
まずデュルケムは、季節ごとの自殺傾向を統計的に分析する。
その結果、どの場所のデータを見てもほとんど例外なく夏に自殺は最も多く冬に最も自殺が少ないという傾向があることが明らかになる。つまり、季節と自殺の間には関係がありうるということが可能性として浮かび上がって来た。
そこで次にデュルケムは、自殺と気温の関係の統計的分析に取り掛かった。
しかし、気温と自殺傾向の間には、相関は見られず、自殺のピークは気温がピークを迎える7月や8月ではなく6月であり、自殺傾向が最低になるのも、気温が最低を迎える1月ではなく12月であることが示された。
気温ではなく、いったい何が自殺傾向と関係しているのか、デュルケムの見つけた要因は日照時間であった。自殺傾向の年間の推移の動きは日照時間の変化の動きとほとんど完璧に一致したのである。

なぜ、このような関連が生じたのか。
それは、日照時間が長くなれば、一般的にそれだけ人間の社会的な活動時間が増える、それによって(なぜ社会的な活動時間の増加が自殺傾向の増加につながるのかは後の章において深めていくようだが)自殺傾向が増えるのであろう、ということをデュルケムは一日の中でも、昼の特に社会活動が最も盛んな時間に自殺が最も多いことを根拠に、結論付ける。この説明は、一週間において、自殺の傾向が金曜日、土曜日、特に日曜日に少ないこととも一致しているし、電灯の発達によって日照時間に関わらず社会活動を営める社会では日照時間と自殺の相関も弱くなっているということとも符合する。

結論として、宇宙的諸要素に基づいては自殺傾向を説明することはできない。自殺と関わっているのは社会生活の活発さである。物理的環境は社会生活を多少容易にするが、物理的諸要素は社会生活に直接刺激を与えるようなものではない。自殺の増減は社会的な諸条件に基づいているのである。


第四章 模倣
この章では、模倣と自殺傾向との関係について分析しています。

まず、模倣には三つの分型があるとデュルケムは言う。
①集団のメンバーの間の相互作用を通して、均一な集団が出来上がる過程の運動
(全体の諸個人の総和として、どの個人からも異なる平均的な全体が生じる運動)
②社会の規範や流行に従うような行動
③ある他者の行動を、思考の介入なしに真似ること

①と②は行為の表象(モデル)とその実行の間に知的な課程が含まれるが、③には完全に自動的な運動であり、意識的な行為としてではなく、純粋な”伝染”としての模倣の影響を分析するのがこの章の目的であるため、また、①と②は個人的ではなく、極めて社会的な運動であるため、自殺傾向に関わる非社会的な要因についての第一篇においては、三つ目の模倣を模倣と定義して分析を行う。

社会的な自殺傾向が模倣によって生み出されているのかどうかを分析するためには、地理的な分析を行えばいい。しかし、その分析においては、基礎とすべき基準がある。
①モデルがあること、即ち、そこで最大の強度に達しているような中心点があること
②その中心点は、周囲の地域から注目を集めるような場所であること、つまり、大都会や首都であること
③その中心から距離が離れるにつれて、徐々にその自殺傾向が弱まっていること
の三つがその基準である。

こうした基準の下、デュルケムは分析をするものの、条件を満たすような状況は存在せず、明らかになったのは、自殺の、ある中心から漸進的に薄まっていくような傾向ではなく、地域的な例外はありつつも中心的な核を欠く、社会の範囲において均一に存在する傾向であった。即ち、自殺の傾向は地域的な状況に基づくものではなく、ある社会の内部においては一般性と同一性を持っているものであるということであった。

模倣は、自殺の個別的なケースの一部においてその原因を形成していることはあるが、社会的な自殺の傾向性を生じさせるような要素ではありえない。模倣はあくまでも、社会的環境によって、もしくは個人的性向によって、個人の中に形成されている萌芽的な自殺の傾向を刺激しそうして傾向を顕在化させるトリガーにはなりうるが、いいかえれば、自殺を規定する直接的な要因にはなり得ないし、もちろん、社会的な傾向を形成するような影響力などあり得ない。

つまり、社会的な自殺傾向というものを、模倣によって説明することはできないのだ。

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