民主主義と教育 ④ 第7章から

デューイ著 民主主義と教育 ④ 第七章から

第七章 教育に関する民主的な考え

社会様式と民主主義の教育
教育は社会の機能であり、それ故に教育の形態は社会の形態に依存する。即ち、ある社会の教育の形態の中には、その社会においての社会生活の様式の価値概念が包含されているのだ。この章では、民主主義という社会体制と結びつく教育の特徴を述べ、同時に、民主義社会以前の社会における教育哲学を紹介し、両者を比較する。
社会生活の様式の価値を判定する基準は、社会で広く共有されている関心が如何に多様であるか、そして、社会の内外における様々な集団間においていかに自由な相互作用があるかである。
望ましい社会とは、両者の基準が最大限に実現されている。そして、それは民主主義社会においても同様である。加えて民主主義社会は、集団や個人の間の相互作用によって社会の制度の柔軟な改変が可能とされている。故に民主主義社会では、広範な関心の共有やそうした関心の個性化を維持しつつ自由な相互作用を促進するような教育が求められることになる。

以下、先に述べた基準に基づいていくつかの歴史上の代表的な教育哲学を考察する。

プラトンの社会観と教育哲学
プラトンは、社会が天性の才能や資質に基づいた階級や序列をもととした秩序によって静的に維持されることが理想であると考えた。そして、教育はもちろんそうした静的な社会秩序を実現するべく整理されるべきとした。こうした社会観は教育によって社会を改変し向上させていくという動的な視点を持てなかった。

個人主義社会観と教育哲学
十八世紀においては、自由主義の思想が社会においてその中心をなしていた。即ち、個人の個性を多様性をそのままに、自然に任せて自由に発展させることこそが理想社会実現の手段と考えていた。この社会観の下では、自然に基づいた自由な教育が叫ばれることとなったが、言い換えれば、理想とする社会の像を描いておらず偶然の出来事を当てにする脆弱な教育観を生じた。

国家主義的社会観と教育哲学
国家主義的な社会観は、行き過ぎた自由主義に基づく社会観の批判の上に生じた。自由主義的な社会観が持ちえず、その結果自然法則によって代替した社会の理想像を国家の理想像によって置き換えたのである。即ち、国家の目標こそが社会の目標であり、国家以上の社会との摩擦を避けられず、社会観の自由な相互作用は非常に制限された形となった。また、社会において共有される関心も国家の関心であるため、非常に単調で限られたものであった。個人は完全に国家の精度に従属させられることとなった。

述べた三つの教育哲学と社会観において、先の2つは、社会の生活様式の価値において民主主義との共通点を持っていたが、階級の過剰な重視、目標の不在という欠点を抱えており、最後の一つは、両者の基準において民主主義のそれとは正反対のものであった。

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