徒然日記 ゆる~くいきます 2016年10月18日

徒然日記

今日は今日考えたことや今日勉強したことをさら~っと書きます。

最近は、少し前に書いたようにマイブームというか、日課が速読で、暇があれば常に本を読んで生きています。複数冊を同時に読むのがよいということなので、今は同時に5冊か6冊ぐらいを適当に読んでいます。

速読なのであまり時間をかけないように読むのですが、最近は本気で大学院に進学することを意識しているので、学部を明確に決定するべく、その候補の一つである教育社会学の教科書には少し時間をかけてじっくり読んでしまいました。
読んだテーマは”学校に行かない子ども”というものだったのですが、一般的に不登校と呼ばれる問題と似ていますが、それ以上にはるかに広くて、捉え方考え方によっては教育の核心的な問題(なぜ学校に行くのか、誰が学校に行くことを求められているのか、学校に行かないということはどのように語られているか、学校に行かないことは何を意味するかなどなど)まで考察を深めていくきっかけとなるような問題なのだということを知りました。
それから、社会問題に対する本質主義的なアプローチと構築主義的なアプローチのそれぞれの定義や互いの相違、それから長所や短所などの特徴を知りました。同じ問題でも違うアプローチがあり、用いる方法に応じて全く違く解決策や結論を導くことが出来るという事実は、デューイが言っていたように、二元的な対立の認識論でものを見るのではなく、様々な視点から複眼的にものを見ることができることの重要性を改めて教えてもらった気がします。

後、最近小説ってどうやって書くんだろうということが気になって、今日は小説の書き方を少しだけ勉強しました。同じような感情描写でも表層的なものから深層的なものまで、書き方一つでこんなにも違うものなのか、ということに驚きました。あと、小説は事実を描写するのではなくて、小説の雰囲気を作る表現が重要であるという文章は、個人的にすごくグっと来た感じがします。小説を読む時は、どういった表現によってこの小説は独特の雰囲気を醸しだしているのだろうかと注意をして読めたら、小説の深味は一層増すのだろうなと思います。

それから、今日は少しだけ、すっごく適当ですっごい軽い文化人類学の親書を読んだのですが、人は動物が嫌いなんですって。動物が嫌いだから、人間社会に介入してくる動物や、ペットなどの人間と動物の境界を曖昧にする動物を畏れ排除しようとするんだそうです。基本的におそれを感じるようです。ペットは人間の世界に同化させているうちは怖くないのですが、それをはみ出るような自然的な一面を見せると怖い。たとえばペットが逃げて野生化するとか言う話題は恐怖を感じさせますよね。あとは、家畜はやたらに来たないといわれて忌避される傾向にあるし。面白いなと思ったのは、そういう境界的な存在への潜在的な恐怖があるから、境界的な怪物に関する都市伝説(河童、鬼、人面犬、口裂け女などなど)があとを絶たずに生産され続けるそうですよ。

あと、授業を受けててやっぱり思うんですが、僕はバイアスとかステレオタイプそのものやそれに基づく行動も、どう考えてもそれ自体が悪ではなくて、というかバイアスやステレオタイプに基づいていることが問題なのではなくて、常に行動それ自体の質というか道徳的な質が問題なんだよな、って思いました。心理学的にも、バイアスに基づいて行動を行うことは、行動を効率化するために人間が生物学的に歴史の中で身に付けてきた能力です。周りで、ステレオタイプとかバイアスについて語られる語られ方は、まるでそれ自体が悪であるかのような語りなので、どうなんだろうか、といつも思っています。

なんて雑な投稿なんだと思う投稿ですが、そんな感じです。

コメント

なにが読まれているのでしょうか

シンボリック相互作用論とはなにか

主観/客観図式 デカルト

R. マートン 社会理論と社会構造 第4章 社会構造とアノミー