ひとりごと
ひとりごと
今まで、わかっていたつもりでいたことがここ数日、気味の悪い現実味をもって訪れる。
人生の終わり、死んでしまうということ。
生きているものはいつかみんな死んでしまうし、そんなことは誰だって知っている。
きっと小学生にだって、幼稚園児だって、アリやガやゴキブリが動かなくなるのを見る時には、それを理解していると思う。
だから、自分もそんな当たり前のことはわかってた。と、思ってた。
でも、たぶんわかってなかったし、今もきっとわかってない。
とにかく、今は終わりが怖い。
気が付けばその瞬間を迎えているんじゃないか。
ずっと先の出来事のように思っていたけど、実はすぐにその瞬間を迎えてしまうんじゃないか。
それがすごく怖い。
それから、人生は一度きり。
それも当たり前。
きっとそれもみんな知ってる。
でも、その当たり前のことが自分をもっともっと不安にする。
帰ってこない昨日、容赦なくやってくる明日。
ただただどうすればいいのかわからない今日。
やらなきゃいけないことを、きっとそつなくこなしていれば、きっと不自由なく、あたりさわりのない人生が待っている。
あたりさわりのない人生。
それは、自分がいない人生のことだ。
いつまでも自分で選ばない人生。
ただただ流れるままに流れていく人生。
やらなきゃならない、と誰かが言っていることをとりあえずやる。
受験、進学、就職、労働。
とりあえず、みんなそうするからそうする。
そのままずっと流されて、気が付いたら終わりまで流されている。
もしも終わりの瞬間に、自分のこれまでって何だったんだろうか、と尋ねられたら。
わからない、ただ、流れていただけな気がするから。
そんな風に答えてしまいそうな人生。
少なくとも、今自分が終わりを迎えて、誰かに同じように尋ねられたら、そう答える。
どうしようもなく、情けない人生。
そんな人生は嫌だと心はそう叫んでいる気がする。
中学生のころ、高校生の頃、大学生になりたてのころ。
心はもっと強かった。そんな人生は嫌だと叫ぶ声は、体中に鳴り響いていた。
少なくとも、自分が流されているだけだと、自分に気づかせない程度には鳴り響いていたと思う。
自分が押し流されていくその音を、かき消すには十分にうるさかったはずだ。
でも、今気づけばそれは、殆ど断末魔に近い。
いや、断末魔にもならない。
そう、息もできないような窮屈な部屋に押し込められて、誰にも気づかれることなく死んでいく存在の最後のひとりごとのようなそんな儚さだ。
死にかけのその心を救ってやりたい。
でも、自分を押し流そうとするその流れは、今まで気づかなかったのが嘘みたいに激しい。
親孝行は絶対にしたい。
でも、急がないとできなくなってしまう。
流れに逆らおうと思っても、逆らったその先どの方向に進めばいいのかもわからない。
流れから外れることが、流されるよりも絶望的な結末を運んでくるかもしれない。
流れに逆らって離脱する自分と、それをあざ笑うかのように流れ進んでいく周囲の人間。
いろんなもの、いろんな不安が、自分を流れにとどめようとする。
ひたすらに、わからない。
そうやって苦しみながら流れて、気づけば終わりまで流されてしまうんじゃないか。
それが果てしなく、怖い。
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