デュルケム著 自殺論 要約(というより読書ノート)⑧
デュルケム著 自殺論 要約 ⑧
第二編 第六章 種々の自殺タイプの個人的形態
この章では、これまでの章において明らかにされた三つの異なる自殺類型が、それぞれどのような個人的な形態を引き出すのであろうか、ということについて考察する。つまり、それぞれの自殺タイプに起因する自殺において、個々の自殺には形態的にどのような特徴があるのか(どのような性格を個々の自殺が帯びているか)、その関係を演繹的に分析する。
自己本位的自殺
自己本位主義を原因とする自殺(自己本位的自殺)においては、自殺の純粋な基本的性格として無気力であることが挙げられる。加えて、同じ自殺タイプにおける二次的な変種には、自己満足を伴った物憂げな憂鬱、そして懐疑者の悟りきった冷静さがある。
集団本位自殺
同様に、集団本位主義を原因とする自殺(集団本位自殺)においては、基本的性格として情熱的、あるいは自発的な力があり、その二次的な変種として、平静な義務感や神秘的な霊感を伴うこと、また、落ち着き払った勇気を伴うことが挙げられる。
アノミー的自殺
基本的な自殺傾向の最後の一つ、アノミーを原因とする自殺(アノミー的自殺)においては、基本的性格として焦燥や嫌悪がある。また、その二次的な変種は、生一般に対する荒々しい非難やある特定の人物に対する荒々しい非難が挙げられる。
これらが、純粋な基本的自殺タイプと個々の自殺の形態的な関係であるが、これらに加えて、複数の自殺タイプの混合的な自殺タイプに特徴的な形態的特徴が存在する。混合タイプは次の三つがある。
自己本位的・アノミー的自殺
自己本位主義とアノミー状態の双方を原因とする自殺タイプで、個々の自殺の形態的特徴
は動揺と無気力、活動と夢想の混交がある。
集団本位的・アノミー的自殺
集団本位主義とアノミー状態の双方を原因とする自殺タイプであり、形態的特徴は怒りの沸騰である。
自己本位的・集団本位的自殺
自己本位主義と集団本位主義の双方を原因とする自殺タイプであり、形態的特徴はある種の道徳的堅固さによってやわらげられた憂鬱である。
最後に、デュルケムは自殺類型と自殺の手段の間に何らかの関係があるのか、という点に言及する。デュルケムによれば、自殺の原因も自殺の手段も共に社会的に決定される性格のものであるものの、双方を決定する社会的要因は全く別のものであり、それ故に両者の間に関係はない、という。
第三編 社会現象一般としての自殺について
第一章 自殺の社会的要素
この章では、個人的な傾向とは異なる、社会的傾向が存在することを示し、そのうえで社会において安定的な自殺率がそうした社会的な傾向によってもたらされていることを示す。
(以下、書いてあったことをなんとなく書き散らかしますが、わかりにくくなるので、この章では、以上の内容が書いてあったという理解にしておいてください)
社会的傾向というものについて、デュルケムはまず、それが個人的傾向から独立のものであることを述べる。即ち、集団的な傾向は個人的傾向から派生するものではなく、むしろ個人的傾向が集団的傾向から派生するという。
次に、社会的傾向を平均的な傾向と混同する考えの誤りを指摘する。
自殺はある社会において、社会に大きな変化が起きない限り、一定量が安定して発生している。平均値によって社会の傾向を導こうとする時、自殺を行うのは社会において圧倒的な少数派であるため、自殺の平均的な傾向はほとんどゼロに等しく、傾向と呼べるようなものではなくなってしまう。つまり、自殺などのそれ自体が逸脱的な行動の傾向は、平均によっては測り得ないのだ。しかし、データが示すように自殺の社会的傾向は存在することは間違いない。よって、社会的な傾向を測ろうとする時、社会全体の平均を用いて分析を行うことは誤りである。
続いて、社会が持つ独立した力としての社会的傾向の存在を示すべく、個人から独立した社会というものの存在を示す。
つまり、社会は単に個人の集合ではなく、個人の結合によって生じた特殊な全体であり実在である、ということである。社会が個人から独立した実在であるからこそ、社会は個人に外的に力を及ぼすことが出来、それが社会的傾向を生み出すのである。
そして、自殺傾向も社会の持つ独立した力によって生み出されるのである。
第二編 第六章 種々の自殺タイプの個人的形態
この章では、これまでの章において明らかにされた三つの異なる自殺類型が、それぞれどのような個人的な形態を引き出すのであろうか、ということについて考察する。つまり、それぞれの自殺タイプに起因する自殺において、個々の自殺には形態的にどのような特徴があるのか(どのような性格を個々の自殺が帯びているか)、その関係を演繹的に分析する。
自己本位的自殺
自己本位主義を原因とする自殺(自己本位的自殺)においては、自殺の純粋な基本的性格として無気力であることが挙げられる。加えて、同じ自殺タイプにおける二次的な変種には、自己満足を伴った物憂げな憂鬱、そして懐疑者の悟りきった冷静さがある。
集団本位自殺
同様に、集団本位主義を原因とする自殺(集団本位自殺)においては、基本的性格として情熱的、あるいは自発的な力があり、その二次的な変種として、平静な義務感や神秘的な霊感を伴うこと、また、落ち着き払った勇気を伴うことが挙げられる。
アノミー的自殺
基本的な自殺傾向の最後の一つ、アノミーを原因とする自殺(アノミー的自殺)においては、基本的性格として焦燥や嫌悪がある。また、その二次的な変種は、生一般に対する荒々しい非難やある特定の人物に対する荒々しい非難が挙げられる。
これらが、純粋な基本的自殺タイプと個々の自殺の形態的な関係であるが、これらに加えて、複数の自殺タイプの混合的な自殺タイプに特徴的な形態的特徴が存在する。混合タイプは次の三つがある。
自己本位的・アノミー的自殺
自己本位主義とアノミー状態の双方を原因とする自殺タイプで、個々の自殺の形態的特徴
は動揺と無気力、活動と夢想の混交がある。
集団本位的・アノミー的自殺
集団本位主義とアノミー状態の双方を原因とする自殺タイプであり、形態的特徴は怒りの沸騰である。
自己本位的・集団本位的自殺
自己本位主義と集団本位主義の双方を原因とする自殺タイプであり、形態的特徴はある種の道徳的堅固さによってやわらげられた憂鬱である。
最後に、デュルケムは自殺類型と自殺の手段の間に何らかの関係があるのか、という点に言及する。デュルケムによれば、自殺の原因も自殺の手段も共に社会的に決定される性格のものであるものの、双方を決定する社会的要因は全く別のものであり、それ故に両者の間に関係はない、という。
第三編 社会現象一般としての自殺について
第一章 自殺の社会的要素
この章では、個人的な傾向とは異なる、社会的傾向が存在することを示し、そのうえで社会において安定的な自殺率がそうした社会的な傾向によってもたらされていることを示す。
(以下、書いてあったことをなんとなく書き散らかしますが、わかりにくくなるので、この章では、以上の内容が書いてあったという理解にしておいてください)
社会的傾向というものについて、デュルケムはまず、それが個人的傾向から独立のものであることを述べる。即ち、集団的な傾向は個人的傾向から派生するものではなく、むしろ個人的傾向が集団的傾向から派生するという。
次に、社会的傾向を平均的な傾向と混同する考えの誤りを指摘する。
自殺はある社会において、社会に大きな変化が起きない限り、一定量が安定して発生している。平均値によって社会の傾向を導こうとする時、自殺を行うのは社会において圧倒的な少数派であるため、自殺の平均的な傾向はほとんどゼロに等しく、傾向と呼べるようなものではなくなってしまう。つまり、自殺などのそれ自体が逸脱的な行動の傾向は、平均によっては測り得ないのだ。しかし、データが示すように自殺の社会的傾向は存在することは間違いない。よって、社会的な傾向を測ろうとする時、社会全体の平均を用いて分析を行うことは誤りである。
続いて、社会が持つ独立した力としての社会的傾向の存在を示すべく、個人から独立した社会というものの存在を示す。
つまり、社会は単に個人の集合ではなく、個人の結合によって生じた特殊な全体であり実在である、ということである。社会が個人から独立した実在であるからこそ、社会は個人に外的に力を及ぼすことが出来、それが社会的傾向を生み出すのである。
そして、自殺傾向も社会の持つ独立した力によって生み出されるのである。
コメント
コメントを投稿