J.S.ミル著 自由論⑤
J.S.ミル著 自由論⑤
第五章 適用
2017年1月22日
読了時間:30分
内容について
この章は様々な具体例を用いて、この章以前までに述べられてきた原理がどのように現実に適用されるのか、またどのような限界があるのか、が示されています。
まず、ミルはここまで述べてきた原理が二つの格率によって成り立っていることを示します。その二つの格率というのが、
①個人は、彼の行為が彼自身以外の何人の利害とも無関係である限りは、社会に対して責任を負っていない、ということ
②他人の利益を害する行為については、個人は責任があり、また、社会が、その防衛のためには社会的刑罰または法律的刑罰を必要とするという意見である場合には、個人はそのいずれかに服さねばならないであろう、ということ
の二つです。
この二つが、ミルが述べてきた自由と制限に関する原理なのですが、ミル曰く、この原理を現実に適用した際には、その適用は単純なものではなくコンテクストに応じてこれらの格率は限界を持つのだそうです。(つまり、これらの格率は決して絶対的に自由や正当な制限において実現されなければいけないようなものではなくて、正当な制限や自由の状態中には、それらの格率を満たしていないような例外的な状況がありうるということだと思います。)
正直、具体的な限界については様々な例が列挙してあり、どのように整理して記述すればよいのかわからないので、書きません。(もちろん、自分の理解が十分ではないということが大きな要因です(笑))
限界っていったいどういう意味での限界なんだ、ということがよくわからないとは思うので、ミルが述べている、格率の限界の例を一つだけ書いておきます。
ミル曰く、他人の利益に損害を与えること、もしくは損害を与える惧れがある時にのみ社会の干渉が正当化されるとはいえ、そのことは社会の干渉は常に正当化される、とは断じてはならないのだそうです。
それは、多くの場合において個人の正当な目的を追求することに依って、必然的に―すなわち合法的に―他人に苦痛や損害を与えてしまうことはあるからです。たとえば入学試験では、”合格”という目的追求は、他者に避けがたく”不合格”という損害をあたえます。しかしだからといって個人が合格を目指そうとする行動に社会が干渉をすることは正当ではないでしょう。これは、ミルがここまで述べてきた自由と制限についての原理が当てはまらない具体的なケースであり、その原理の限界を示しています。
こうした、原理の限界を示す例外的なケースがいくつかあり、この章ではその例外について述べることで、その原理の限界を示しています。
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