古代ローマの時代の政治と思想
古代ローマの時代。この時代の哲学や思想は、古代ギリシャの模倣の域を出ることはなかった。ギリシャの人間や社会に関する哲学は民主制の存在と大きく関係をしていたというが、ローマにも民主制はあった。ではなぜ、ローマはギリシャの模倣の域を出ることができなかったのだろうか。考えられる理由として、ギリシャの民主制とローマの民主制の間にある質的な相違がある。
ギリシャの民主制は、奴隷の存在という深い闇に支えられて成立していたものの、貴族であろうと平民であろうと、個々市民は比較的対等な政治的権利を行使することができていた。一方で、ローマの民主制は建前のようなものであり、貴族と平民の間の政治的な地位の格差は大きく、貴族が政治の実験を持つ事実上の寡頭制によって政治が運営されていた。もちろん、ギリシャでそうであったように平民の戦争への参加とともにローマでも平民の政治的権力が高まったが、それでも本質的には貴族が政治を支配する寡頭制政治であった。そして、古代ローマでは次第に特定の貴族へ権力が集中していき、結局帝国化してしまった。
当然、古代ローマの民主制の特徴が古代ローマで哲学や思想が発達しなかった理由のすべてであるとするのは理に適ったことではない。しかし、そのような寡頭制の社会においては、ギリシャ社会に較べて市民が思索などに対して消極的であったという可能性はそれほど卑非現実的な仮説ではない。
古代ローマの時代、思想史の観点から重要な意味を持つ変化は、原始キリスト教の成立である。キリスト教が生まれたパレスチナ地方は紀元前1世紀頃にローマの支配下に入った。当時のパレスチナ地方には多くのユダヤ人たちが暮らしており、彼らはユダヤ教を信仰していた。その時代のユダヤ教は宗教的な儀礼を重要視する形式主義的な宗教であったが、貧しい人々にとっては宗教的儀礼に則って生きることは決して容易なことではなかった。それ故に宗教的儀礼に則った生活を営むことができない貧しい人々に対してユダヤ教徒たちは迫害を加えていた。このような時代背景の下でキリスト教は生まれることになった。
形式主義的なユダヤ教に対して不満を持った一人の人間がいた。そのイエスと言う男は、ユダヤ教の形式主義を批判し、本当に重要なのは信仰心であるという内面重視の宗教を提示した。具体的には、イエスは律法や儀式よりも良心を、法、正義や権利よりも愛を重要視し、すべてを受け入れ何にも固執しない身軽さとしての自由を提示した。
イエスの死後、イエスの弟子たちがイエスの教えをもとにしてキリスト教をつくったが、組織化の過程の中でキリスト教もまた形式主義に傾いていった。その中では、全能の神と無力な人間のアナロジーが強調され、それは人間中心的な自由意志を否定するに至った。無力な人間観は人間の理性を否定することにつながり、それは理性を通して得られた知を否定する姿勢に通ずる。この点において、イエス以後のキリスト教はギリシャの主知主義と対立することになる。原始キリスト教においては、知や理性などよりも良心や愛などの個々の人間の内面こそが重要なのであった。
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