進学に向けて② 孤独なツバメたち
進学に向けて② 孤独なツバメたち 今日は、孤独なツバメたちという映画を観て感じたことをだらだらと書き連ねようと思います。 最近、日本にいる定住者(デニズン)について勉強をしていて、その勉強の一部としてこの映画を観ました。内容は、静岡県の浜松市における日系ブラジル人のデカセギの子どもたちを追ったドキュメンタリー映画です。作中では、彼らが法的な地位と現実の乖離にどのように翻弄されているか、がありありと描かれています。 日本には、入国管理の法律はありますが、入国した彼らを社会に統合する法律はありません。それは、日本は一般的に入管法の意図としては、将来的に定住化し、統合が必要になるような滞在資格ー即ち外国人労働者ーの入国を認めていないからです。 あら?と思った人もおおいでしょう。 実際に日本のメディアの報道でも日系ブラジル人の労働者などの外国人労働者の問題が報道されることもあるし、そもそも少し前に僕も”日系ブラジル人のデカセギ”と書いています。だから、今僕が書いた内容には一見、矛盾があるように思えます。 しかし、この二つの内容はともに事実で、矛盾では決してないのです。それはなぜかというと、日系ブラジル人は日本の入管法に基づく法的な立場では、「定住者」という位置づけで、はじめから短期滞在の外国人労働者としてみなされていないのです。そのかわり、国家は彼らについて、文化的には日本人と類似していて、故に統合政策は必要ない、と意図していました。 ですが、実際には彼ら日系ブラジル人は血統的には日本人の要素が混ざっていますが、文化的には完全にブラジル人で、日本社会も彼らを決して日本人と同等とはみなさず、外国人とみなします。 それ故に法律的には「統合政策は必要のない存在」とされていながら、実際は「統合が必要な外国人労働者」としての日系ブラジル人が存在しているのです。 つまり、法的な意図と、現実に大きなギャップがあり、それによって「存在しないはずの外国人労働者」が存在してしまっているということです。 統合政策がない、ということは、彼らのような移民にとっては社会から排除されるにほとんど等しい状態です。労働は短期間の不安定な単純労働職にしか就けず、満足な社会保障も受けられない。教育を受けようにも積極的に移民を支援する教育政策もない。そして、その状態を問題視する...