古代ギリシャの哲学－ヘレニズム

古代ギリシャの哲学を語るときに、重要なことは人間や社会へと関心が向けられるようになったということだけではない。もう一つ、重要な特徴があった。それは、ヘレニズムの思想だ。古代ギリシャでは、前三世紀にマケドニアが力を伸ばし、アレクサンドロス大王はギリシャからペルシャまで広がる広大な王国を作りだした。そして、この大王国の出現により、ギリシャ的な世界観はペルシャ世界にまで広がり、結果としてギリシャ文化とペルシャ文化との融合を可能にした。こうしたギリシャ世界の拡大の時代をヘレニズム時代と呼ぶが、このヘレニズムの時期には、独特の哲学も誕生した。

ヘレニズムの哲学は、一般的にいくつかの類型に分類される。代表的なものはストア派、エピクロス派、懐疑主義、キュニコス派、などである。これらの諸派はどれも魂の平安－アタラクシア－を求める点では共通していたが、アタラクシアに至る方法に大きな相違があった。

ストア派は世界の秩序を、物質にロゴス（自然の摂理）が働くことによって成り立つものであると考え、人間の生もロゴスによって秩序付けられるべきであると考えた。そして、非ロゴスであるパトス－情念・感情－に振り回されて生きることを否定した。こうした姿勢から、ストア派は禁欲主義などとも呼ばれることがある。

懐疑主義は、判断停止－エポケー－をアタラクシアへの道であると考えた。懐疑主義と呼ばれる彼らは、普遍的な真や普遍的な実在と呼べるものの存在に対して懐疑的であった。それ故に彼らは、そうした普遍性を求める問に終わりは存在せず、その先にアタラクシアはあり得ない、と考えた。だからこそ、彼らはそうした問に対しては、判断停止（判断留保）をすることが必要である、としたのであった。

この姿勢は一見すると、非常に消極的な姿勢であるようにも思えるが、裏を返せば知に対する現実的な視点をもっていたということでもある。そこから普遍への知の旅路を始めない代わりに、目の前の事実を事実としてありのまま受け入れ（どうあるべきか、ではなく、どうあるか、に着目し）、現実の生活や自身の幸福にどう役立てることができるか、を彼らは現実的に思考していたのである。

エピクロス派の代表とされるエピクロス派、デモクリトスの原子論的世界観を応用し、独自の哲学を展開していた。エピクロスによれば、人間の肉体は原子によって構成されており、その内部には同じように原子によって構成されている魂が存在しているという。即ち、魂も物質と同じように存在しており、それは肉体と分かちがたく結びついているのである。それ故に、肉体が滅びれば肉体とともに魂も滅びると考えた。原子論を人間に応用することで得られたこの人間観と魂に関する考えは、彼独特のアタラクシアについての考えを発展させた。エピクロス曰く、魂が肉体と不可分である以上、魂の平静－アタラクシア－を保つためにはそれにふさわしい肉体のあり方を考えなければならない。そして、アタラクシアの条件として、欲望を制して清貧に生きることを挙げた。

上に見てきたように、ヘレニズムの哲学は全体に共通して、広い意味での人間性やすべての人に妥当し得る法の存在、そしてそれを踏まえた人間の生き方などについての哲学となっている。言い換えれば、特殊な社会に縛られることのない、「普遍的な世界」を前提とした哲学が展開されている。これは、マケドニアの大王国の出現と、それに伴ってポリスなど小さな社会からの束縛が緩んだ結果として生まれた「コスモポリタン的」哲学の一側面であった。

一方で、コスモポリタン的哲学には普遍主義的な側面と対極をなすもう一つの側面がある。それは、自己中心的な側面である。例えば、懐疑主義者たちは普遍的な生のあり方を追求する代わりにそうした普遍性への問いに対しては判断停止・留保（エポケー）をし、現状を受け入れそれを個々人の生の幸福のためにどのように活用するかを中心的に思索していた。また、エピクロス派は魂の平静―アタラクシアのために肉体の状態をアタラクシアに適した状態にすることを述べたが、彼はただ個人の魂の平静や幸福のために必要なものを述べているのみで、ここには社会や世界への関心は存在していない（社会や世界から切り離された「個人」を語っているのであって、「社会的な個人」については無関心）。補足するためにストア派についても触れておくが、彼らはロゴス－自然の法－に従って生きることが重要であると述べているが、それは個々人の行動を普遍的な法屋秩序に従わせることを主張している点で社会や世界などへの関心がうかがえる（世界や社会の秩序に従う「社会的な個人」への関心がうかがえる）。

畢竟、ポリスなどの中間的で小規模な社会とそうした社会が個人に対して持つ束縛の崩壊は、一方では小さな社会を乗り越える普遍主義的な思想を生み出し、他方では個人に社会や世界への関心を失わせ、過度な自己中心主義的な思想を生み出すことにもなった、ということである。