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デュルケム著 自殺論 要約(というより読書ノート)③

デュルケム著 自殺論 要約 第二編 社会的原因と社会的タイプ 第一章 社会的原因と社会的タイプを決定する方法 第一編において、社会における自殺率が、非社会的な原因ではないということを示したデュルケムは、第二編において、自殺率は社会的原因に根差すものでなければならないと言う姿勢をより強固に示す。 第一章では、そのうえで、社会的原因の諸タイプを決定するに辺り、その方法について言及する。まず、デュルケムは個々の自殺のケースから特徴を分類し、その分類に応じた原因を見いだす帰納的な方法を、資料がないことによって退ける。そのため、デュルケムは統計的なデータに基づいて諸原因を先に見いだす演繹的な方法を取ることにする。 その統計的な探り形も、ここのケースの事例から始めるのではなく、社会的環境(宗派、家族、政治社会、職業集団など)の状態がどうなっているか、ということと社会における自殺の統計との関連性の分析から、その考察を始める。

徒然日記 ゆる~く行きます 2016年10月19日

徒然日記 10月19日 今日も平日です。何かをまとめて書くには一日に学んだことが一貫性のあるようなものではないので、今日も徒然ととりとめもなく、今日したことをゆる~く書いていこうと思います。 まず、今日も小説の書き方についての本を読みました。1章だけさらっと読みました。 第1章は、アイディアと構成ということで、構成パターンの基本的な流れ、構成の発想につながる日常的習慣、そして、登場人物の描き方やに登場人物に求められる要素などを具体的な例を示しながら教えてくれました。著者の方は、忠臣蔵がすきすぎて、第一章の半分くらいは他の作品と比較して忠臣蔵がいかに優れているかについて述べていました。でも、著者の示す忠臣蔵の良さというものは、象徴の効果や小説ならではの余計な描写の効果などなど納得のいくものばかりで、忠臣蔵テーマにした様々な作品に触れてみたいと思わせてくれました。 この章で自分としてぐっと来たのは、小説は人間を描くものであるという、著者なりの小説の根本への言及でした。小説はあくまでも現実と似ているようで現実ではないもう一つの世界への招待状です。なので、そこには完全無欠な人間を描くこともできます。どこを切ってもポジティブな情報しか出てこないような人間を描くことだってできるわけです。でも、そんな小説は決して面白くはならないと、著者は言います。「小説は書くのも読むのも人間である」という著者の言葉にその理由は凝縮されているようにも思います。小説を書くという作業がが人間を描く作業であるというのは、ほめられるような一面があれば、不完全さを感じさせる一面もある、また、成熟と同時に青さを残しているようなそんな生き生きとして存在としての人間を描く作業であるということです。話の筋道を描くときも、登場人物に命を与えるときも、その根本を忘れてはならないということです。 ここで終わればいいのですが、小説は現実と似ている現実ではない世界を描くことである説くことに少し加えていこうと思います。「小説は現実より奇なり」という言葉があります。意味は読んで字のごとくです。すなわち、小説は現実をはみ出ていいし、むしろはみ出なければ面白くはない、ということです。シンプルな言葉ですが、これも小説の根本の一つなんです。 たとえば、登場人物を描く作業があります。そして、そうして描かれる登場人物の中には...

徒然日記 ゆる~くいきます 2016年10月18日

徒然日記 今日は今日考えたことや今日勉強したことをさら~っと書きます。 最近は、少し前に書いたようにマイブームというか、日課が速読で、暇があれば常に本を読んで生きています。複数冊を同時に読むのがよいということなので、今は同時に5冊か6冊ぐらいを適当に読んでいます。 速読なのであまり時間をかけないように読むのですが、最近は本気で大学院に進学することを意識しているので、学部を明確に決定するべく、その候補の一つである教育社会学の教科書には少し時間をかけてじっくり読んでしまいました。 読んだテーマは”学校に行かない子ども”というものだったのですが、一般的に不登校と呼ばれる問題と似ていますが、それ以上にはるかに広くて、捉え方考え方によっては教育の核心的な問題(なぜ学校に行くのか、誰が学校に行くことを求められているのか、学校に行かないということはどのように語られているか、学校に行かないことは何を意味するかなどなど)まで考察を深めていくきっかけとなるような問題なのだということを知りました。 それから、社会問題に対する本質主義的なアプローチと構築主義的なアプローチのそれぞれの定義や互いの相違、それから長所や短所などの特徴を知りました。同じ問題でも違うアプローチがあり、用いる方法に応じて全く違く解決策や結論を導くことが出来るという事実は、デューイが言っていたように、二元的な対立の認識論でものを見るのではなく、様々な視点から複眼的にものを見ることができることの重要性を改めて教えてもらった気がします。 後、最近小説ってどうやって書くんだろうということが気になって、今日は小説の書き方を少しだけ勉強しました。同じような感情描写でも表層的なものから深層的なものまで、書き方一つでこんなにも違うものなのか、ということに驚きました。あと、小説は事実を描写するのではなくて、小説の雰囲気を作る表現が重要であるという文章は、個人的にすごくグっと来た感じがします。小説を読む時は、どういった表現によってこの小説は独特の雰囲気を醸しだしているのだろうかと注意をして読めたら、小説の深味は一層増すのだろうなと思います。 それから、今日は少しだけ、すっごく適当ですっごい軽い文化人類学の親書を読んだのですが、人は動物が嫌いなんですって。動物が嫌いだから、人間社会に介入して...